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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)94号 判決 1966年10月31日

控訴人 木下源吾承継人 木下礼二 外三名

被控訴人 長谷川藤助

主文

原判決を取消す。

本件を浦和地方裁判所川越支部に差し戻す。

事実

控訴人等代理人は「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人代理人は、「本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人等の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、次ぎに記載する外は原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。

控訴人等代理人は第一審の被告であつた木下源吾は昭和四〇年一一月一四日訴状の送達を受けたが、訴訟代理人を委任する暇なく同年一一月二六日住所地において死亡したので、本件の訴訟手続は中断した。ところが、原裁判所は訴訟手続中断中に拘わらず、同年一二月七日口頭弁論を開き、同月二一日右被告敗訴の判決を言渡し、同月二三日判決正本を右被告方に送達した。原判決は右のとおり訴訟手続中断中になされたもので判決の手続に違法があるから取消さるべきである。控訴人木下ハナは、右被告木下源吾の妻、その余の各控訴人は同人の子であり、いずれも木下源吾の相続人であるから本件訴訟手続を受継ぐとともに本件控訴の申立をする。又被控訴人の請求原因に対する答弁として、被控訴人の主張事実は全部否認する、亡木下源吾が被控訴人に対し、その主張の土地を売り渡したことも売買代金を受領したこともないと述べた。

理由

本件記録によれば、被控訴人は木下源吾を被告として、昭和四〇年一一月一二日浦和地方裁判所川越支部に本件訴訟を提起したところ、原裁判所は口頭弁論期日を昭和四〇年一二月七日と指定して被告木下源吾に対し口頭弁論期日の呼出状と訴状副本を送達し、右書面は同年一一月一四日午前一〇時右被告方に到達した。ところが、被告木下源吾は、訴訟代理人を委任することなく、同年一一月二六日午前一時三〇分埼玉県入間郡三芳村大字北永井五七六番地の一で死亡した。しかし原裁判所は、被告木下源吾の死亡後である同年一二月七日午前一〇時の第一回口頭弁論期日に出頭した被控訴人に訴状を陳述せしめ、右被告は不出頭として弁論を終結し、判決言渡期日を同年一二月二一日と指定し、この旨右被告宛てに通知し、その指定期日に、右被告は適式に呼出を受けながら口頭弁論期日に出頭せず答弁書その他の準備書面を提出しないので被控訴人の主張事実を明らかに争わないから自白したものと看做して、被控訴人勝訴の判決言渡しをし、判決正本を右被告に宛て発送し、同年一二月二三日午前一一時三五分同被告方に到達した。これに対し、木下源吾の子である控訴人木下礼二から、控訴期間内に第一審の訴訟手続には法律違背があることを理由として本件控訴の申立があり、後日木下源吾の妻、ならびに子である控訴人等から訴訟手続の受継を申し立てるとともに、控訴人木下礼二を除くその余の控訴人等から控訴状の追完を申し出で、更らに準備書面において、被控訴人の主張事実を全部否認し、争う旨陳述している、ことが認められる。以上の事実によれば、被告木下源吾は訴訟代理人を委任しないまゝ昭和四〇年一一月二六日死亡したことにより、第一審における訴訟手続は中断し、それ以降の裁判所ならびに当事者の訴訟行為は中断中の訴訟行為として無効というべきところ、原裁判所ならびに被控訴人は中断中に口頭弁論を開き訴状を陳述した上弁論を終結し、判決を言渡したのであるから、原審の訴訟手続には法律違背があり、控訴人等は本件控訴において原判決には法律違背のあることを主張し、これが取消しを求めているのであるから、控訴人等は責問権を抛棄又は喪失したものとはいえない。そして原裁判所は被告木下源吾の擬制自白があるとして、被控訴人の主張に対する認否ならびに証拠調を全く行なわず、被控訴人勝訴の判決をなしたのであるが、控訴人等は被控訴人の主張を全部否認し、争う旨答弁しているのであるから、当事者双方に主張ならびに証拠調をなさせる必要があり、且つ、事実審理の二審制の見地からもこれらの訴訟行為を第一審から行なわせるのが妥当であると認め、原判決を取消し、本件を原裁判所に差し戻すのを相当とする。

よつて、民事訴訟法第三八六条により原判決を取消し、同法第三八九条第一項により本件を浦和地方裁判所川越支部に差し戻すこととし主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 武藤英一 岡田潤)

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